気になるバイオニュース、ちょっとマニアックな鉄道模型、心に滲みる酒場、まだバックパッカーという言葉が輝いていた時代の旅の話を中心に、徒然なるままに…


by Katsu-Nakaji

カテゴリ:鉄道模型自分史( 2 )

このブログを読んでくれた親友のS君から、「おまえの原点は小田急と親父のヨーロッパ土産の客車じゃなかったのか」との指摘がありました。確かに、O君のEB58+篠原の線路→珊瑚模型→TMSという流れなしでは、玩具ではない「おとなの趣味としての鉄道模型」の扉を開けることはできなかったのですが、ふかーく(なくともいいが)考えると、ご指摘の通りなんですねぇ。幼馴染というのは自分の忘れたことも憶えていてくれて(こっちも彼の忘れたことをしつこく憶えているが)、ありがたいものです。というわけで…

ほぼ生まれた時から11歳まで住んでいた団地の、道ひとつはさんだ向こうに小田急線が走ってたことから、列車の通過音やロマンスカーのオルゴールの音がしない生活は想像できませんでした。遊んでいても、電車の音が聞こえてくると遊びを中断して団地の裏に飛んでいって、フェンスにしがみつきながら「○○型だぁ~」。車両の形だけじゃなくて、色も楽しかった。当時はまだオレンジがかった黄色と青の、いわゆる旧塗装が全盛だったけど(「小田急」といえばこれだ)、旧国型のデハ1800なんかは茶色だったし、御殿場線乗り入れ用のディーゼル、キハ5000はベージュに赤い帯。もちろんロマンスカーはグレーに赤だけど、デハ2600や4000には、小田急百貨店全館完成記念のクリームと赤地に金の帯という「特別塗装」もありましたねぇ。

昭和40年代前半はまだ電気機関車が砂利を満載したトムをゾロゾロ引き連れて、その「タンタンタンタンタン…」ていう単調なジョイント音は国鉄の長大な貨物列車を思い起こさせてくれたもんです。最後尾には、トムの真ん中に車掌室をつけたトフがいつもぶら下がっていたけど、トフは一列車一両じゃなく、先日雑誌で見た写真によると、機関車の直後にも連結されていることが結構あったようですね。貨物列車はよく脱線してました。

そんなわけで、当時は「電車」といえば「小田急」しか考えられず、毎月首を長くして発売を待っていたTMSに小田急車両の製作記が載っていた時などは本当にうれしくて、何度も何度も繰り返し読んだものです。
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by Katsu-Nakaji | 2007-01-09 18:57 | 鉄道模型自分史 | Comments(0)
ーたぶん、最高の出会いー

いまから約40年前、世田谷の経堂から(駅は小田急の千歳船橋が近かった)、杉並の堀ノ内に引っ越した。その少し前に、友人のO君のEB58(カツミの16番自由型の傑作)が篠原の405R組線路を走る姿に参ってしまっていた私は、引っ越し先の近所に見つけた模型屋さんの木戸を開けて「鉄道模型の本ください!」。その時店のお兄さんが「はい」と渡してくれたのが「鉄道模型趣味」(TMS、または単に「模型趣味」と呼ぶのが普通)の1969年11月号(No. 257)でした。環七方南陸橋から立正校成会へ下ってきた、びみょーなデルタ地帯にあるそのお店が、今ではメジャーメーカーとなった「珊瑚模型」だったのです(まだ一階のみの営業で、プラモデルなんかも積んでありました)。「鉄道模型趣味」と珊瑚模型店…これ以上の始まりはないのではないかと思っています。
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by Katsu-Nakaji | 2006-12-17 01:30 | 鉄道模型自分史 | Comments(0)